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ちおん舎 催事予告

京都の縁創空間 ”ちおん舎” のイベント予告をお伝えするブログです

ちおん舎近所の井戸

名水をいろいろ調べていくと、ほんの近くにもその当時有名な井戸が、ありました。了頓の井と役行者山の井で、ちおん舎からほんの50mぐらいの位置にありました。了頓の井は廣野了頓宅にあった井戸といわれている。三条衣棚下るは了頓図子(図子というのは辻子とも書き、いわば横丁のような生活道路、大路小路の間をつなぐ短い裏道である) とよばれており、 江戸時代初期の地誌である「雍州府志」によると、足利家代々の従臣である廣野家は、将軍義昭、義輝の時代にこの地を受領した。その後、安土桃山時代になって、末裔である廣野了頓は、剃髪してこの地に茶亭を構え、茶道を広めた。当時、豊臣秀吉は、京へ入洛した折りに了頓亭を訪れ、茶を点じた了頓は、その縁で280石の知行をあてがわれた。
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本能寺三名水

ちおん舎の南西400Mに本能寺跡の石標があります。本能寺は,法華宗本門流の本山で応永22(1415)年妙本寺(現在の妙顕寺)の日隆が創建した。創建時は油小路高辻にあって本応寺と号した。永享5(1433)年四条坊門大宮に移り,本能寺と改めた。信長が、明智光秀に討たれた天正10(1582)年6月2日の本能寺の変の時には,北は六角,南は蛸薬師,東は西洞院,西は油小路に囲まれた寺域を持っていた。のち豊臣秀吉(1536~98)の命により寺町御池に移転した。
本能寺三名水は、この時代になづけられたと推測される。
肉桂水・化粧水・柳水が、本能寺三名水であるが、肉桂水(にっきすい)は、六角新町あたり、三井邸の西南隅に極めて清純にして香気ある井戸があったとしるされております。
化粧水は、現在、西洞院四条の東南角に石標があり、小野小町が化粧に使った水と記されております。
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化粧

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「ちおん舎」という名は、「温故知新」より「知」「温」を、また「千」「智」や「音」「恩」の意味も含ませました。私たちが育まれてきた伝統をもう一度見直し、その智慧を現代の生活に活かすことと、和の文化を伝承することを志して、展示会やコンサート、茶会、茶事、茶道教室など、様々な文化活動の情報発信拠点になることをめざしていきたいと思います。

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