ちおん舎近所の井戸
名水をいろいろ調べていくと、ほんの近くにもその当時有名な井戸が、ありました。了頓の井と役行者山の井で、ちおん舎からほんの50mぐらいの位置にありました。了頓の井は廣野了頓宅にあった井戸といわれている。三条衣棚下るは了頓図子(図子というのは辻子とも書き、いわば横丁のような生活道路、大路小路の間をつなぐ短い裏道である) とよばれており、 江戸時代初期の地誌である「雍州府志」によると、足利家代々の従臣である廣野家は、将軍義昭、義輝の時代にこの地を受領した。その後、安土桃山時代になって、末裔である廣野了頓は、剃髪してこの地に茶亭を構え、茶道を広めた。当時、豊臣秀吉は、京へ入洛した折りに了頓亭を訪れ、茶を点じた了頓は、その縁で280石の知行をあてがわれた。
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